逸見石物語 その3~世界で初めての結晶

1970年代後半、私は益富先生のところ(現益富地学会館、当時は日本地学研究会館と言いました)へ月に何回も通っていました。ある県の産出鉱物の目録を作成するために文献を調査させていただいたり、不明鉱物の鑑定をお願いしていたのです。F研究員(当時)にはたいへんお世話になり、分析をお願いしただけでなく、専門的な知識を与えていただいたり立派な標本を見せていただくなど、おおいに啓発されたことでした。
午後の3時頃になると、益富先生が作業をしている2人を茶の間に呼んでくださるのが通例でした。そこでは上菓子とお茶をいただきながら、すみ婦人も交えて石の話を拝聴したのは懐かしい思い出です。
京都には鉱物に熱心な方が多くて、土日ともなると何人もが先生の所へ来られ、いろんな石を持ちこんだり話をして帰られます。いわば鉱物趣味者の交流の場となっていました。
そして私が持ち込んだ布賀鉱山の不明鉱物は、益富先生もたいへん興味を抱かれ、すぐに分析の労をとっていただくことになりました。益富先生がその研究を託されたのは、筑波大学の長島弘三教授でした。
やがてその鉱物は、世界で二番目に産出の含水硼酸塩鉱物であることが判明しました。初産はロシアで、粉のような微々たるものだったそうです。よって目に見える結晶として陽の目を見たのは布賀鉱山産が初めてです。
学名はPentahidroborite、和名は組成から五水灰硼石となりました。残念ながら世界新産鉱物ではなかったのですが、大きな発見に益富先生宅に集まっていた鉱物趣味の面々は色めき立ちました。
そうして長島先生を中心として筑波大学科学系の研究室を巻き込んでの、記載に向けての研究は始まりました。分析材料としての標本は十分な量あるのですが、その標本は坑夫さんからいただいたものでした。現産地を確認する必要があります。
布賀を再度訪れることになりました。
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