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2011年5月31日 (火)

逸見石物語 その4~布賀鉱山へ

Hukakouzann

 布賀鉱山の不明鉱物を益富先生にお預けしてからしばらくは、筑波大学での研究の推移を見守るほかありませんでした。
 それが硼素を含む鉱物であることが分かって、原産地確認の必要性が生じてきました。最初の4人のメンバーのうち私とI氏に、F研究員と京都のOA氏が加わって布賀鉱山を訪れたのは、その年の12月のことでした。
 正午過ぎに布賀に着くと、まずは5月に標本をご恵与いただいたお宅へあいさつにうかがいました。あいにくとご主人は不在だったので、そのあとすぐに鉱山へと向かいました。

 鉱山ではちょうど昼休みの時間だったので、休憩しておられた坑夫さんたちにお話しを聞くことができました。それによると、例の石は前年の冬に1人の坑夫さんが坑道内で発見し、大理石の中に脈になって続いていて、空隙にはキラキラ光る結晶があったとのことでした。
 その露頭があるところで採掘をやめているので、少しは残っているかも知れないとのこと。発見者の坑夫さんが私たちを案内してくださることになりました。布賀鉱山の坑道はとても広く、純白の大理石が縦横に掘り進められていました。
 現場に着くと、運よくその脈は坑道の最先端に残っていました。長径1メートル、最大幅50センチほどの脈に空洞もあり、方解石の結晶に続いて、いただいたのと同じ鉱物が次々に出てきました。もはやそこが原産地であることは疑う余地がありません。
 4名は1時間ほど採集にかかったあと現地を引き上げ、1回目の布賀鉱山での調査と試料の収集は無終わりました。

 布賀鉱山へは翌年の2月と3月に再訪、再々訪しました。2回目は初回と同じメンバーでしたが、3回目は益富先生と筑波大学から長島教授と大学院生(当時)の中井氏を案内し、それに京都の石好きの人たちが加わって11名の大部隊となりました。
 3回の調査で、大理石採掘の坑道の壁から天井にかけて1本の硬い石の脈があり、一部がその石を中央に挟んで硼酸塩鉱物の卓越する晶洞になっていることが分かりました。中心の硬い脈は何者なのかは分かりません。露頭の下の地面に溜まっていたものもあって、多量の標本を採集することができました。

Rotou
Pentahidroborite1978

 実はPentahidoroboriteの中に小さな紫色のシミがあるのをF研究員が見つけているのですが、あまりにも小さすぎてすぐに研究の対象になることはありませんでした。

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